15年後のモニグロ-after Morning Glory-

30代2児の母が10年前のネットを懐かしんだり思いをつづるブログ。

本音と建前の渦巻く、このインターネットの海の中

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言いたいことも言えないこんなインターネッツ

15年前の私の日記。まぁ今でいうブログだけど
それはそれは赤裸々に毎日を綴っていた。

日常生活はもちろん、恋愛のこと、
学校のことなにもかも。実名も出していたし、気持ちも全て丸裸だった。

15年経って、色々と環境や自分自身も変化があって。
SNSやブログを通して自分自身を表現することが、以前のようには出来なくなった。

どうして自分は自分の言いたいこと、うまく言えなくなってしまったんだろうと考えた。

以前よりもネットが普及して、当時は目に触れることは確実にないだろう場所まで届くようになった。
それもある。

ネットでは虚像や理想を好きに作れる、というような話は前に記事にしたけど

(↓これ。たぶん。w)

www.hanalavi.com


その中に他人に思われている自分から外れることをしたくないな。
って思う自分がいる。

これは承認欲求の一種なんだろうか。認められたいというわけではない。
でも、なんだろう。思い描かれているままで存在していたい。

そんな気持ちがある。

 

たとえば、
「こんな風にしていて、きっと楽しいんだろうな。」
「幸せなんだろうな。」とか。

「前にこう言っていたから、きっとこうなんだろうな。」とか。

 

言葉を綴り、読まれている中で思い描かれている自分像。

 

自分はこうでありたいという願望でもあるのかもしれない。

だけど、その願望に結局はがんじがらめになってしまって、
少しの弱音や、悲しいこと、腹が立ったことや、


いろんな事実。

うまく伝えることができなくなってしまった。


結果、誰も見ていないところで書きなぐるようになった。


15年前のあの頃は、弱みも、悲しいことも、
全部全部書いた。

 

花愛として、そして、「私」として。

 

たぶん、だから読みに来てくれていたんだろうなと思うし、
すごく親身になって、私を見守ってくれているひとがたくさんいた。


今は、守るものが増えたのもあるかもしれない。
「こんなことを言ったら、誰かを傷つけてしまう」と、守るようになった。

まぁそれは悪いことではないとは思う。


でもたまに思う。


幸せな報告しか流れてこないFacebookや。
親子の綺麗な写真が切り取られているだけのInstagram

他のSNSと比べて本音が多いように見せかけて、
やっぱりどこかで見栄の張り合いが毎日行われているTwitter


そんなSNSの海の中に一人、ぽつんと立って考えてみる。
自分のようで自分じゃないような気分になる。

Facebookで私は、充実した生活の日記をたまにアップするし
Instagramではきれいに撮れた写真を加工して投稿する。

Twitterでは、言いたいことを言っているように見えると思うけど
実際は隠していることも多い。

 

全てが全て本音で書ける場所なんてどこにもなくなってしまった。

 

自分をうまく見せることのできない日記やつぶやきなんて、

なんの存在意義があるの?


きっと、私がどこかで泣きながら本音をぶちまけたら、

周りの人たちはとても優しいから、馬鹿になんてせずに受け止めてくれるだろう。


それでも、そういうことはもうほとんどできない。

建前と本音が渦巻く世界で過ごしすぎた、代償だ。

 


と、そんな本当の「弱音」をたまには吐いてみたという。お話でした。